電気に夢中だった子どものころの高橋俊博
今日は成人の日ですね。
今年、成人の日を迎えられる方、そして、ご家族の皆さま、
おめでとうございます。
新たな門出のお祝いですね。
たくさんの幸せと笑顔の待つ未来が訪れますことを
お祈りいたします。
私自身は、成人の日から30年以上の年月を経ましたが、
当時は木材を加工したり、ガス溶接や電気溶接の手間仕事など、
施工現場をあちこち慌ただしく飛び回っておりました。
昔の自分を思い出している
リフォーム・リノベーション専門店
住まいの健康寿命診断士
ふくろうはうす(高橋建装)の高橋です。
子どもの頃から、建築現場が身近にあり、
一日中、現場の様子や作業を見ていても飽きることがなく、
棟梁(とうりょう)や大工さんに見守られて育ちました。
そして、成人の日を迎える頃には、
現場で汗を流す職人になっていました。
と言うと、建築一筋のように聞こえるかもしれませんが、
建築だけでなく、実は電気にも興味がありました。
今回のコラムでは、建築はもちろん好きだけど、電気にも魅かれた
私の寄り道(回り道)についてお話させていただきます。
近所にあった町の電気屋さん
私が電気に興味を持ったきっかけは、
近所の電気屋さんでした。
今のような量販店ではなく、
昔は地域密着型の町の電気屋さんがあり、
メーカーのチェーンストアといった感じで
大型家電から電池1個まで地域の需要を
担(にな)っていました。
また、独自で家電製品を修理する技術をお持ちでした。
小学1~2年生のころ、
通学路の途中にあるその電気屋さんの前を通ると
店の奥で、かなり大きなルーペを使って作業をされていて、
その様子をじっと見ているのが好きでした。
「いったい何をやっているのだろう」と観察していると、
「興味あるの?」と声をかけられました。
テーブルの上には、ラジオやテレビ、大小の部品類、
様々な工具などが置かれ、修理をされていました。
また、傍らにはブラウン管のカラーテレビが何台も置かれ、
受信機のテストのため、いつも映像が流されていました。
壊れた家電製品が持ち込まれて、
その修理をしているのが、いつもの情景でしたので、
暇さえあればお邪魔して見ていました。
建築現場にいる時と同じで、ずっと見ていても飽きることが
なかったのですが、仕組みを知るのはずっと後の話です。
可視化できない電気を使うことで、ラジオから音声が流れたり
テレビに映像が映ったりすることが不思議でした。
電気に詳しい親戚がいたため、
小学5年生ころから、電気のことを教わり始めました。
電気に必要な数学やオームの法則などは、
高校で習うような内容でしたが、
難しいより面白いという感覚でした。
「モールス信号さえあれば全世界の人と会話ができる」
その親戚の言葉でアマチュア無線にも興味を持ちました。
モールス信号は「トンツー」とも呼ばれる略語の英文で、
5~6年生のころ、モールス信号と略語を覚えました。
本格的な英会話ではないですが、
ある程度意思疎通ができるような文章なども教わり、
無線通信でいろんな人とやり取りしました。
近くの電気屋さんから、壊れたテレビやラジオを
いただき、持ち帰っていましたが、
「これ分解して無線機を作れない?」と親戚に相談して、
無線機を自作し、改造しながら無線通信を行いました。
そんなわけで、中学生から高校生にかけては、
アマチュア無線に没頭していました。
交信するためには、資格も知識も必要でしたので、
改めて電気についてもっと知識を得たいと思い、
高校進学時には、電気科へ進みました。
高校時代のコンピューターは骨董品クラス
高校の電気科の授業で
初めてコンピューターを触ることになったのですが、
昭和40年代の骨董品クラスのもので、
ガタイだけは大きなものでした。
タイプライターでテープにパンチ穴を空け、
それをテープリーダーに読み込ませる仕組みで、
穴の開いたところに光を通し、光の加減で投影したものを
コンピューターに読み込ませるというものでした。
途中でテープが切れることがあり、
切れたところは目打ちで穴を空けて修繕するという
アナログ的要素の強いコンピューターでした。
子供のころ不思議だった、ラジオが鳴る仕組みや
テレビが映る仕組みを理解したいと思いましたが、
仕組みを知ろうとすれば、物理に詳しくなければなりません。
その結果、物理は得意分野になりました。
「ガリレオ」というドラマで、天才物理学者が、
謎を解くために、複雑な計算を繰り返しますが、
自然界にあるものは、全てを波形で表すことができ、
黄金比が存在します。
人間の体の構成や人の動き、音楽や音声などの波動、
また、株式相場や為替相場の動きなどお金の流れも、
全て黄金比で表すことができます。
お金を大きく動かしている投資家などは、
このリズムを知った上で、
トレードなどを行っていると思われます。
真空管のテレビやラジオを復活
お客様で電気技術者だった方がいらっしゃるのですが、
トランジスタラジオ以前の真空管のテレビやラジオを
保管されていて「復活させたい」という話をされました。
私も昔からそういったものに興味があると話すと、
お客様のコレクションを見せてくださいました。
いずれも昭和30年代から40年代のもので、
「この種類の真空管は○○ですね」と言うと
「わかりますか」と盛り上がりました。
子どものころの私は、近くの電気屋さんから
壊れたテレビやラジオをもらって帰ったりしましたが、
その時は、部品を使ってラジオを組むなどの知識や応用力はなく、
バラバラにしてパーツをただ取っておきました。
小学6年生くらいになると、そのパーツを使って、
真空管でラジオを作ったり、無線機を作ったりと、
興味対象がいろいろと広がっていきました。
お客さまと真空管のテレビやラジオのお話をすることができ、
当時を思い出して、懐かしさでいっぱいになりました。
そんなわけで、今回のコラムは、
私が電気に魅かれていったお話をさせていただきました。
電気にかなりのめり込みましたが、
生業(なりわい)として選んだのは建築で、現在に至ります。
建築の仕事で、電気の知識が活かされることもあります。
YouTubeでも以前投稿させていただきましたが、
エアコンのチェックなどもさせていただいたこともあります。
現在、ふくろうはうすでは、
現場監督、大工の募集と後継者候補の募集を
行っております。
ふくろうはうすの仕事をやってみたい方、
建築現場やものづくりに興味がある方は
まずは、お気軽にお問い合わせください。
そして、ふくろうはうすの家がどんな感じなのか体験&体感しに
オープンハウス「ふくろうはうす 暮らしの見学会」にも是非
参加してみてください。
ふくろうファミリーの一員になったら、
こんな家を作れるようになるんだなとイメージいただけますし、
直接見学会に参加いただくことで、色んな会話から
刺激やヒントなども得られるかと思います。
就職に繋がらなかったとしても、
将来のご自身の家づくりのヒントにもなりますよ。
実際に私たちが暮らしている家から得られる気づきなど、
色々受け取ってお持ち帰りいただけたら幸いです。
次回は「無線にハマった中高生のころの高橋俊博」
のテーマで準備しています。
楽しみにしてくださると嬉しいです。