電気から科学実験まで友達と一緒に遊んだあの頃の私

今月1月の特集かつ、2023年の第1段として、
私の子どものころからの様々な好奇心から始まる
エピソードについてお話を続けてきました。

 

その補足となるような昔の記憶の断片を思い出しましたので、
今回も昭和の時代のお話にお付き合いください。

 

映画化されたマンガ「20世紀少年」では、
主人公ケンヂの少年時代のころが描かれていますが、
ちょうどあの頃の時代背景と重なります。

 

メンツをかけたテレビの修理

ある日のこと、友達の家の壊れたテレビを
「もしかしたら直るかもしれない」と
一緒に持ち出して、私の自宅へ持ち帰ったのですが、
その友達も直るかどうか、半信半疑でした。

 

「直せるの?電気屋さんが見に来て、ダメだって言ったけど…」
「直るのなら勉強になるからやらせて」と軽いノリでした。

 

友達にもハンダごての使い方を教えて、
時間はかかったけど、一緒に修理しました。

友達の家の壊れたブラウン管テレビを友達と一緒に修理しました with ふくろうキャラクター(ぷく・ふくお・ふくこ)

故障がウソのように、テレビに画像が映った時には、
友達もビックリして、二人で我を忘れてはしゃぎました。

 

直ったテレビを持ち帰った友達のご家族も驚き、
喜んでいただくことができて、とても嬉しかったです。

 

この友達は、のちに、無線免許を取ることになり、
私と一緒に無線を楽しむようになります。

 

そんなこんなで噂が広がり、同じクラスの女子から
「うちの(テレビ)も映らないけど、直るかな?」と
持ちかけられることがありました。

 

何とか期待に応えようと「任せて」と引き受けました。

 

ところが、こういう時に限って、上手くいかないもので、
様々な調整を施したのですが、中々映像が映りません。

 

電気が得意な叔父に相談すると、
「そういう場合はこうすると良いよ」とアドバイスがあり、
なんとか、直すことができました。

 

「どうにもならないと思っていたのに、
(直すことができるなんて)すごいね!ありがとう。
と言われて、大変だった苦労が吹っ飛びました。

 

様々な故障の修理と対価の報酬

そんなことを繰り返すうちに、
「こんなの(テレビが)直せるのなら、これはどう?」と
大型ステレオコンポの修理を頼まれることもありました。

大型ステレオコンポの修理を頼まれることもありましたが、音が出ないなど、単純な機械的故障が多かったです。

当時はステレオのボリュームが回転するタイプのもので、
音が出ないなど、比較的単純な機械的故障が多かったです。

 

被膜抵抗によって、膜にこすれるところが
単純にすり減ったり、滑ったりしたために、
接触しなくなって音が出ないというものでした。

 

その場合、部品ごと外して、バラして、調整すれば
それだけで直ることもありました。

 

また、スイッチが入らないなどの故障については、
代用品が多く出回っていたため、交換するだけで直ったり
こちらも比較的単純な故障が多かったように思います。

 

遊び半分でしたので、
対価の報酬など考えたこともなかったのですが、
「タダじゃ悪いから」とお小遣い
いただくこともありました。

 

子どもにとっては大金の五百円札を友達のお父さんから
いただき、驚きながらも、嬉しい気持ちで、
「お父さんからもらったから、みんなで駄菓子屋に行こう!」と
当時流行っていたもんじゃ焼きを友達5人で食べに行きました。

修理の報酬として五百円札をいただき、友達と一緒に「もんじゃ焼き」を食べに行きました

卵、ちくわ、ソーセージなどの持ち込みOKでしたので、
粉とソースだけのプレーンなもんじゃ焼きを頼んで、
駄菓子屋さんの片隅に置いてある鉄板に、
みんなが家から持ち寄った具材を入れて、
もんじゃ焼きにして食べました。 

 

当時、他にはデジタル時計の修理もたくさんしました。

 

数字部分がプラスチック製で、
日めくりカレンダーのように数字がめくられて
時間を知らせるタイプのものでした。

 

これも比較的単純な故障なので、部品をバラして、
調整すると直すことができました。

 

いろいろなジャンルのものを直す経験ができましたので、
横に動くか、回転するかなど、どういう理屈でどんな機構
動くのか、いろいろなもので観察させていただきました。

 

あと、同級生に驚かれたことの一つに刃物の扱いがありました。

 

建築現場で、ノミやのこぎりなどの扱いを
習っていたこともあり、小刀やナイフを使って、
例えば、鉛筆の頭の部分にトーテムポール人面
削ったりして遊んでいました。

 

トーテムポールは、インディアンが自分の領域を表すために、
木に人面を彫り込むなどの装飾を施し、
敷地の隅に立てて使ったりしたものです。

小刀やナイフを使って、鉛筆の頭の部分にトーテムポールや人面を削ったりして遊んでいました

後から思えば、
周りの大人が見守って何でもやらせてくれたこと、
例え失敗しても、何らかの形で、
バックアップフォローがあったことなど、
ありがたい環境の中で育ったのだと思います。

 

手作り花火と火薬の実験

中学生の頃は化学にも興味を持ち、
花火を作ったこともありました。

 

近所に化学が好きな友達がいたので、
一緒に理科の実験の延長を行っていました。

 

金属を燃やすと、赤、黄色、緑などの炎が出るので
その炎色反応を利用して、「こんな色の花火を作ろう」と言って、
まず、黒色火薬を作り、金属(銅など)の粉を混ぜて
友達と一緒に花火を作りました。

科学好きの友達と一緒に理科の実験の延長で、花火を作って河原で試してみました

手持ちの花火と、軽く上がる打ち上げ花火を作り
河原に行って、試すのが楽しかったです。

 

火薬の威力を試すために、分量を計算して黒色火薬を作り、
河原で一抱えくらいの大きさの石を破壊できるかどうか
実験したこともあります。

 

石は見事に砕けましたが、この実験は後にも先にも1回のみ。
これ以上エスカレートしたらやばい、
警察沙汰になるのはまずいとストッパーがかかりました。

 

実験が好きで、いろいろと馬鹿なことをしたと思いますが
今となっては懐かしい思い出です。
が、基本は今も変わらず、というところでしょうか。

 

今では、リフォーム・リノベーション専門店
ふくろうはうす(高橋建装)の住まいの健康寿命診断士
行っている私、高橋も
昔は羽目を外しては、怒られたことがありました。

 

只今、ふくろうはうすでは、
現場監督大工の募集と後継者候補の募集
行っております。

 

ふくろうはうすの仕事をやってみたい方、
建築現場やものづくりに興味がある方は
お気軽にお問合せいただけると嬉しいです♪

 

また、ふくろうはうすの家を知る機会として
オープンハウス「ふくろうはうす 暮らしの見学会」も
随時開催していますので、是非参加してみてください。

ふくろうはうす 暮らしの見学会へ

 

ふくろうファミリーの一員になったら、
こんな家が作れるようになるんだなとイメージいただけますし、
直接見学会に参加いただくことで、色んな会話から
刺激やヒントなども得られるかと思います。

 

実際に私たちが暮らしている家から暮らしのヒント
気づきなど、色々受け取ってお持ち帰りいただけたら幸いです。

 

次回は「ご近所で噂の『謎のお店』をリノベーション中!」
のテーマで準備しています。
楽しみにしてくださると嬉しいです。

 

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