鉄鋼の溶接と家電製品の修理に傾倒していたあの頃の私

寒い日が続いていますが、風邪を召されていませんか?
お身体を温めて、体調にはくれぐれも気を付けてくださいね。

 

2023年新年を迎えてから、このコラムでは、
子どものころから好奇心の塊だった私のエピソードについて
お話を続けています。

 

今回も、ものづくりに対する関心や
壊れたものを元に戻す修理に傾倒していった
若い頃の私についてお話をさせていただきます。

 

「住育のお母ちゃんの家」で建具の修理

2020年から(一社)日本住育協会の理事に就任し、
昨年2022年12月には京都の「住育のお母ちゃんの家」で
開催された理事会に出席しました。

 

「こんにちは」とお母ちゃんの家のリビングの戸を
開けようとしたのですが、開きません。

建具が壊れて、力ずくで開け閉めするようになると不便で仕方ありません

両手に力を込めて引っ張らないと開かない状態です。

 

「お母ちゃん、いつからこうなったのですか?」
「しばらく前から。」

建具が壊れて、力ずくで開け閉めしているとのことでした。

 

理事会終了後、「これでは、不便でしょうがないでしょ。」
と言ったものの、手持ちの工具が何もなかったため、
お母ちゃんに「あるもの(道具)を貸してね。」と、
道具箱を出してもらったら、
使えそうなものがいくつかありました。 

 

「何とかしてみましょう。」
そこからは私の猪モードが止まりません!!

 

重くなっている建具は引き違いの扉で、
上部のレールで吊っているタイプのものでした。

 

戸車とレールの本体が経年劣化を起こして、
建具が下がってしまい、下部の敷居にこすれて、
開け閉めしにくくなっていました。

 

まず、建具を外し、パーツをバラして
部品を組み合わせ、できる限りの調整をして、
とりあえず動きがスムーズになるくらいには直しました。

 

かれこれ1時間半ほどかかったのですが、
「こういうことやっているから、帰りが遅くなるのね。」
とみんなに言われました。

 

ちょっと工夫すれば直るのにと思った瞬間に手が出てしまうのは、
私の性分のようで、年中このパターンです。

 

そんなこんなで建具は軽くなったのですが、
直ったことを忘れてお母ちゃんが、つい、
いつもの調子で扉を力いっぱい開けるから、
扉が外れるかと思うくらいの勢いになってしまい…。

 

「軽くなったからそーっと開けてね」ということが
何回か繰り返されました(笑)

 

次回来る時には、部品を改造して交換するね、
と約束して帰路につきました。

重くなった建具の扉を外し、できる限りの調整をして、動きがスムーズになるくらいには直しました。

 

祖父に習った金属の溶接

修理など、自分ができることを自然に行うことで、
自分自身が嬉しくなるので、気がつくと体が動いています。

 

思えば、母方の祖父がそういう人でした。

 

ゼロ戦を作っていた中島飛行場に勤めていて、
飛行機の羽などに使われていたアルミニウムジェラルミンなどの
使えない部分をもらって帰ってきては、
それを叩いて伸ばして、やかんを作ったそうです。

 

戦時中はものがないので、ご近所さんにも配ったそうで、
祖父が作った寸胴鍋を、いまだに祖母は使っています。

 

仕事の経歴は、飛行機製造の技術者から、バイク屋、車屋を経て、
その後、精密機械の工場を立ち上げました。

 

発明好きだったため、いろんな特許が相当数あり、
今でも、精密機械やエンジンの製造現場で、
活かされている祖父の特許もあります。

 

ないものは作れ」というのが祖父の口癖でした。

 

一方で、交通安全協会を立ち上げて地域貢献をするなど、
祖母に言わせると「身銭を切って勝手に動いちゃう人」
だそうで、私もそんな祖父の生き方に憧れていました。

 

いろんな金属を組み合わせて溶接する祖父の姿を、
興味深く見つめていると「やってみるか」と
小学3~4年生の私に手ほどきしてくれました。

金属を組み合わせて溶接する祖父の姿を、興味深く見つめていると小学3~4年生の私に手ほどきしてくれました。

シャーリングなどいろいろな加工方法や機械設計なども
じっくりと教わりました。

 

昨年2022年のふくろうはうす「秋の感謝祭」でも、
恒例となったドラム缶ピザ釜でのピザ作りですが、
ピザ釜はほんの短時間で手作りしたものです。

 

以前、あるイベントに参加した時に、
ドラム缶ピザ釜で焼かれたピザがおいしかったので、
それをヒント自作したのですが、
炭だと移動するなどの持ち運びが難しいため、
練炭ストーブを使う方法を思いつきました。

 

美味しく焼けるコツを調べ、
釜の中の温度が350℃くらいになるように、
高さや釜内の容積を設定し、熱量計算をして、
こんな感じかなと作ってみたのですが、
なかなかうまく出来上がりました。

 

感謝祭での手作りピザは3回目となりましたが、
お客様にも好評で、このピザ釜欲しいというリクエストも
いただいています。

ふくろうはうす「秋の感謝祭」で恒例となったピザ作りですが、ドラム缶ピザ釜はほんの短時間で手作りしたものです

 

手作りしたい人には
「誰でもできるようなやり方なので、お教えしますよ」と
お伝えしています。

 

工夫して面白いこと出来ないかなと常に考えているので、
ピザ釜づくりも楽しい時間でした。

 

親方の元で手伝いながら教えを授かる

私が職人として仕事を始めたころは、職人の数が足りなくて
あちこちから応援要請がありました。

 

若い衆(わかいしゅ)になりたてでしたが、
仕事はそこそこ覚えていたため、
いろんな経験を積ませていただきました。

 

鉄鋼のガス溶接、電気溶接なども得意だったため、
鉄工屋さんの手伝いにも行きました。

 

また、例えば日曜日など休みの日には、
親方のところで手伝いをすることが多かったです。

 

手伝いをさせていただきながら、教えを授かっていました。

 

当時はプレカット加工などなかったため、
ノミを使って材木を加工するのが当たり前でした。

当時はプレカット加工などなかったため、ノミを使って材木を加工するのが当たり前でした

また、昼間にできない墨付けなども
日曜日を使ったり、夜なべをして間に合わせていました。

 

材木の刻みや、柱や梁を加工するための時間が必要なので
建前の日が決まると、その日に向けて、
夜な夜な棟梁のところへ通って手伝っていました。

 

中学生のころには壊れたテレビを修理

子どものころ、近所の電気屋さんの仕事を
一日中張り付いて見ていた私は好奇心の塊でした。

 

中学生になると、友達の家のテレビが壊れたと聞くと
修理させて」とお願いに行きました。

 

友達のお母さんから「壊さないで」と言われながら、
友達と一緒に自転車の荷台にテレビを乗せて
家まで持ち帰りました。

中学生になると、友達の家のテレビが壊れたと聞くと「修理させて」とお願いに行きました

それまでに集めたいろいろな部品道具があったため、
電気に詳しい叔父に相談すると、
「おそらくこういう故障だから考えた通りにやってみて」 
ヒントだけ教えてもらいました。

 

また、電気回路を調べるオシロスコープという測定器を
叔父が持っていて、使い方を教わりました。

 

電気の波形の異常を見ることができる器具なので、
「こういう故障の時にはこんな波形が出るよ」と。

 

壊れたテレビを前に、いろいろ試しながら、
友達と一緒に、ひと通り修理を施したのですが、
砂の嵐だった画面に映像が映ったときには、
感動して走り回りたい気分でした。

 

それに味を占めて、テレビの調子が悪いと聞くたび、
あちこち修理に出回っていました。

 

そのうち、テレビの修理ができることが、
ご近所で評判になり、重宝されるようになりました。

 

テレビの他にデジタル時計、ステレオ、
ジューサーミキサー、掃除機などの修理も
させていただきました。

 

今も変わらずで、エアコンの調子が悪いと聞くと、
状態を確認して修理したくなります。

 

自分の範ちゅうを越えるものには、応じられませんが、
ほとんどの故障には対応できます。

 

そんなわけで、建築家でありながら、
溶接電気の分野にも興味深い
リフォーム・リノベーション専門店
住まいの健康寿命診断士
ふくろうはうす(高橋建装)の高橋です。

 

只今、ふくろうはうすでは、
現場監督、大工の募集と後継者候補の募集を行っております。

 

ふくろうはうすの仕事をやってみたい方、
建築現場やものづくりに興味がある方は
お気軽にお問合せいただけると嬉しいです♪

 

また、ふくろうはうすの家を知る機会として
オープンハウス「ふくろうはうす 暮らしの見学会」も
随時開催していますので、是非、参加してみてください。

ふくろうはうす 暮らしの見学会へ

 

ふくろうファミリーの一員になったら、
こんな家が作れるようになるんだなとイメージいただけますし、
直接見学会に参加いただくことで、色んな会話から
刺激やヒントなども得られるかと思います。

 

実際に私たちが暮らしている家から暮らしのヒント気づきなど、
色々受け取ってお持ち帰りいただけたら幸いです。

 

次回は「電気から科学実験まで友達と一緒に遊んだあの頃の私」
のテーマで準備しています。
楽しみにしてくださると嬉しいです。

 

Spread the love
上部へスクロール