東日本大震災から11年、3.11を振り返る


東日本大震災から11年の月日が経ちました。
2011年3月11日14時46分
あなたはどこで何をしていましたか?

私が体験した3.11「東日本大震災」は…


あの日あの時、私は東京の地下鉄の中でした。



東京ビッグサイトで開催されていた「建築建材展」を目指して
夫婦で移動中でした。



六本木駅に電車が到着した直後、大きな揺れに襲われ、
不意打ちに驚いて静まり返ったあと、幼い子どもが泣き出しました。



ほどなく、車内に警報音が鳴り響いて、
息を飲んでいた大人もザワザワし始めました。



警報音が鳴り止まない車内に、
「絶対に外には出ないでください。
地下鉄は安全ですからこのまま動かないでください。」
というアナウンスが繰り返し流されました。



30分ほど経ったころ、
「東北地方で非常に大きな地震がありました。
地上に出られるよう調整しますので、今しばらくお待ちください。」
というアナウンスに変わりました。



慣れない電車の中に閉じ込められたまま、
地上に出られるまでの時間は40分ほどでしたが、
1時間~2時間くらいの長さに感じられました。



ようやく電車の扉が開き、
駅員さんに誘導されて地上へと向かったのですが、
駅から出た途端、ごった返す人の波の先に
信じられない光景がありました。



皇居のお堀端に出たのですが
アスファルトの道路がうねうねと波打っていて、
亀裂が入ったり、陥没したところもありました。



かなり大きな地震だということはわかりましたが、
詳細がわからず、「いったい何が起こったのだろう?」ということだけが、
頭から離れませんでした。



電車をはじめ交通機関はすべて止まってしまい、
携帯電話は会社に一度だけ繋がったあと不通になりました。



とにかく桐生市に戻ろうと、東京駅まで歩いたのですが、
目に入ってきた映像茫然として、
しばらく立ちつくしてしまいました。



東京駅に設置された大きなモニタからは
津波の映像が繰り返し流されていました。



これほど巨大規模の地震であれば
桐生市も被災してかなりのダメージを受けていると
たやすく想像できました。



現場も会社も心配で、一刻も早く帰りたかったのですが、
電車の運行停止は解除されそうにありません。



仕方がないので、山手線沿線を群馬方面に向かって
歩くことにしました。





温かいお茶のありがたさを思う



駒込から東京大学などを越え約20Kmぐらいを移動したのですが、
途中、集会所や学校などの公共施設無料開放され、
温かいお茶や毛布などが用意されていました。



帰宅困難者のためにできる限りのことをしようと
地域の人たちが動いている様子を目の当たりにしました。



温かいお茶の接待を受けて、一息入れることができ、
とてもありがたく感じました。



幸いなことに、奇跡的に運行された電車に乗ることができ、
浦和駅までは帰ってきたのですが、
電車はそこで止まってしまいました。


時間は既に夜中でした。



夜を明かすには駅舎内は寒すぎたため、
駅から出て周辺をさまよって見つけた古いホテル
なんとか泊めていただくことができました。



ようやく携帯電話も繋がるようになり、
親族に迎えに来てもらえることになりました。



翌朝、自家用車で迎えに来てもらって、
無事、桐生市の自宅にたどり着くことができましたが、
信号機が止まり、大きな国道の交差点などは封鎖されていましたので、
幹線道路を避け脇道を探しながら、4時間かけて戻ってきました。


昨日外出してから1日半が経っていました。





復旧工事の順番は災害時のトリアージ方式を応用!


会社に行ってみると、
職人さんや私の家族などで協力して
地震のため乱雑に散らかってしまった事務所を
片付けてくれていました。



また、現場の総まとめ役の職方さんは、
いち早く現場に駆け付け、状況の確認をし
必要な対策について奔走してくれていました。



お客様からは、家が傾いたとか、屋根が崩れたなど、
緊急の応急処置が必要となるご相談が多数届いていました。



復旧作業まで、半年ほどお待ちいただくことになり、
その間の対策が必要でしたが、
職方さんが応急処置を迅速に進めていました。



屋根の復旧工事については更にお待ちいただくことになり、
工事を完了するのに3年ほどかかりました。



お客様にはご不便をおかけしましたが、件数が多いため、
災害時に治療の優先順位を決めるトリアージのように
生活に支障のあるお住まいから復旧工事を始めました。



しかし、原発事故で電力の供給が止まったため、
計画停電が始まったのですが、
当初は信号機も止まり、確認しながらゆっくり走行するしかなく、
徐行運転を余儀なくされる状況でした。



ガソリンスタンドも閉鎖され、燃料不足して、
現場に出向くことさえ大変になっていきました。



車をはじめ、重機、発電機を動かすための
燃料の代わりになるものはないかと考え、
サラダ油の廃油やドライクリーニングの廃液などを譲っていただき、
工夫し応用して何とかしのぎました。





電気、ガス、石油などのエネルギーの分散化



お客様からも、電気ガソリンが足りなくて
困っているというお話をたくさんお聞きました。



エアコンや石油ファンヒーターなどで暖を取っていた人は、
電気を使わない開放型の石油ストーブで対策すべく探したけれど、
供給が間に合わず、手に入らないという状態が続きました。



そのような経験を通して、エネルギーを見直し、
分散化を考える方が増えました。



桐生市近辺ではガスの他に石油給湯器を使っているご家庭が
少なからずあります。



石油給湯器には灯油を入れておくためのタンクがあり、
そこから灯油を取り出すこともできるため、
被災時の備蓄としての利点もあります。



ガソリンスタンドが閉まっていても、
灯油があれば開放型の石油ストーブが使えるなど、
非常時に役に立つため、根強い人気があります。



私の実家には薪ストーブがありましたので、
震災時には家族や親せきが集まって大人数で
薪ストーブを囲みました。



薪ストーブの上で甘酒を温め、灰の中でゆっくりと焼き芋を
作って、ほっこりする時間をみんなで過ごしました。



以前のコラムで薪ストーブ魅力をお話しましたが、
薪ストーブは空間を暖めて、人の身体と心を温めるだけでなく、
停電時であっても、炎のあかりには、
集まった人を安心させ和ませる作用があります。



東日本大震災のような災害は起きてほしくないですが
いざという時のための備えを日ごろから考えておくことはとても
大切ですね。





地震直後だけでなく時間を置いてからの倒壊にも注意!


地震によって地盤が揺れると土壌も緩みます。



住宅はもちろんですが、例えば外構のブロック塀なども
本震では倒壊しなくても、余震で2回3回とダメージを受けて
倒れることがあります。



ブロック塀が倒れて人が下敷きになった悲劇がありましたが、
地震直後ではなく、しばらく経ってからの崩壊でした。



道路の陥没や電信柱の倒壊なども
時間差で引き起こされることがありますので、
見えない危険注意しながら行動することが大切です。



地震によって地盤がずれて断層ができてしまったため、
基礎がダメージを受けて断裂し、
解体しなければならない建物も何軒かありました。



被災の中で最も多かったのは、屋根瓦落下で、
復旧工事までの間、屋根をブルーシートで覆って
雨をしのいで過ごしていただきました。



次に多かったのがひび割れでした。
外見で確認できるものは、モルタルの外壁や室内の
お風呂のタイルなどでしたが、
目に見えない基礎構造材にも被害が及んでいるものが
何件も確認出来ました。



表面に出ていない傷跡は、あとから見つかることが多く、
リフォームやメンテナンスのための詳しい調査診断で、
床下の基礎の割れや陥没が出てくることがいまだにあります。



だからこそ、この記事を読んで頂いてるあなたには、
定期的に住まいの健康寿命診断を受けていただくことをおすすめします。


災害が増えている今だからこそ、備えておきたいですよね。



ひとりでも多くの方に安心いただきたいので、今回特別に、
ご依頼の際に「震災の記事をみたよ」と言っていただけた方には、
近々出版予定の書籍「(仮)群馬発! 住まいの健康寿命リノベーション!
を販売開始後、無料でプレゼントいたします。


先着10名の方限定となりますので、今すぐ以下より診断申込ください



あれから11年が過ぎ、日常を取り戻しましたが、
今度はコロナ禍で、世の中が大きく変化しています。



当たり前すぎて、気づかず通り過ぎた普通の平凡な日常が、
実は、ありがたい幸せな日々だったと
振り返った時にはじめて気づくものかもしれません。


あなたの3.11はどうでしたか?



リフォーム・リノベーション専門店ふくろうはうすの高橋は、
改めて全ての出来事や全てのご縁に心より感謝しております。



こうやってあなたと出逢えた奇跡
是非、あなたのストーリーもお聞かせください。
そして、この機会に「住まいの健康寿命診断」を通して、
ご自宅の状態確認を行い安心してもらえたら嬉しいです♪

住まいの健康寿命診断申込



次回は「排水管のつまり、原因はペットのえさ!?」のテーマでお話します。
お読みくださると嬉しいです。

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