9月1日は「防災の日」でした。
「防災の日」を含む1週間を「防災週間」として、
防災の訓練やイベントなどが行われます。
そこで、今回のコラムでは、「災害」の中の、
「地震」について、お話をさせていただきます。
9月1日の「防災の日」は、
1923年(大正12年)の「関東大震災」が発生した日です。
約100年前の「関東大震災」では、
死亡または行方不明の方が約10万5千人、
そのうちの約9割が火災により犠牲となられました。
地震発生がちょうどお昼時で、
火を使う時間帯だったため、火災が発生し、
強風も重なって、火災旋風が巻き起こされ、
火の勢いで命を失うという恐ろしいものでした。
阪神淡路大震災は、今から27年前の
1995年(平成7年)1月17日に発生し、
約6,400人の方が亡くなられました。
そのうちの約8割が家屋の倒壊による窒息、圧死でした。
記憶に新しいのは、11年前の東日本大震災ですが、
死亡または行方不明の方が約2万3千人、
そのうちの約9割が津波による溺死でした。
海水と一緒に、「黒い津波」と言われる
海底のヘドロが大量に流れ込んできました。
ヘドロには、有害物質が含まれていたため、
肺に入って気管を詰まらせ、呼吸困難を引き起こした
とも言われています。
関東大震災時の桐生市の様子
約100年前の関東大震災時には、
桐生市もかなり揺れましたが、
人的被害はそれほど大きくはありませんでした。
祖母から聞いた話ですが、
地震から1時間ほど経った午後1時~2時ごろ、
東京方面を見ると空が真っ赤に染まっていたとのことです。
渦を巻くような複数の火災旋風も、
はっきり赤々と見えたそうで、
東京から桐生市に逃れてきた人の中には、
相当なやけどをした人もいらっしゃいました。
多くの人々が、桐生市に避難して来られましたが、
家が焼失したため、行く当てのない人も多く、
桐生市は役場を臨時解放して、受け入れ態勢を取りました。
また、仕事関連で、東京と頻繁に行き来があり
東京との縁が深い機屋(はたや)さんなども、
倉庫を解放して、避難された人々を受け入れたそうです。
甚大な被害をもたらした関東大震災を経験し、
自然災害の脅威を忘れてはならないと
定期的に公民館などで、大震災を体験した語り部さんの
お話を伺う機会も作られました。
教育現場でも、関東大震災時の桐生市の様子を伝えたり、
語り部さんの講演会を開いたりと
様々な取り組みがなされていました。
私も小中学生のころ、関東大震災を身近な教訓として、
学ばせていただきました。
防災訓練の中でも、特に、消火訓練や
火が起きたら、どのように行動するかなど
火災に対する訓練が重視されていました。
つらいこと、嫌なことは考えたくないものですが、
いざという時のための備えは、
しっかりと準備しておくことが大切です。
阪神淡路大震災のボランティアでの体験
阪神淡路大震災当時、私は20代でした。
「重機オペレーターが不足している」
という現地の要請を知り、
ボランティアへの参加を決めました。
震災後4日目には現地に到着、
それから2ヶ月弱ほどボランディア活動を行いました。
現地に入ると、まず、お家の中に閉じ込められた人の救出を
手伝ってほしいと言われました。
お家の中は、柱や瓦礫(がれき)が折り重なっていて、
どこから手を付ければよいのかという状態でした。
手作業で、手前から瓦礫(がれき)を
少しずつ撤去していくしか方法がなく、
閉じ込められた人をやっと見つけ出しても、
残念ながら、お亡くなりになっていることもありました。
地震時にもっとも重要な「避難経路」の確保
被災地を目の当たりにして、大きな揺れにさらされた時、
一番肝心なことは「安全確保」だと思い知らされました。
大地震が発生して、
約14分以内に8割以上の方が亡くなっています。
倒壊した家のほとんどは、5~10秒で倒壊したと
言われていますので、外に避難する前の5秒以内に
まずは、安全を確保する必要があります。
地震後、2~3分の時間があれば、
家から外へ逃げ出すことができますので。
地震の揺れのために身動きが取れない時間と
揺れが収まった2~3分の間、家の中にいて安全であること、
つまり、建物の構造が安定していることが大変重要です。
家が傾いたり、潰れてしまって逃げられない、
家具や電気製品が倒れて行く手を塞がれる、など
安全な避難経路が確保できないと
家に閉じ込められてしまいます。
家の中で立ち往生のまま余震が続くと、
ますます逃げ場を失うことになります。
家そのものが凶器になってしまったり、
障害物のために逃げ出すことができなかったなどによって、
亡くなられてしまった、様々な悲しい現場に立ち会いました。
また、阪神淡路大震災の発生時刻は午前5時46分で
早朝だったため、あまり火を使う時間帯ではなかったのですが、
地震発生直後には、あちらこちらで火の手が上がりました。
道路が狭くて、周りを高い建物に囲まれた
古い木造住宅の密集地では、
火災旋風のように炎が巻き上げられ、
一瞬のうちに火の海となり、
あっという間に燃え広がりました。
このような火災現場は危険なため、
近寄ることが出来ず、手が付けられません。
少し離れた場所から、消火ホースを使って散水したり、
消化剤の泡を使って壁を作り防火壁にしたり、
延焼が広がるのを防いだそうです。
「重機オペレーター」のボランティアとして現地入りした私は、
最初に手作業の人海戦術(じんかいせんじゅつ)で、
お家に取り残された人の捜索から始め、
瓦礫の撤去が徐々に進み、少し道幅を広げられたところで、
小型の重機を使って作業することになりました。
小型の重機の導入で、さらに道幅が広がると
必要に応じて中型や大型の重機を入れることができます。
1週間くらい現地に滞在し活動して、一時帰宅して
また現地に戻るというペースを繰り返しながら、
2カ月弱を過ごしました。
被災地でのボランティア活動の経験は、
建築に携わるものとして、安全面から建物を見る目を
養わせていただきました。
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